近年、私たちの生活に欠かせないインフラとなった携帯電話通信技術。特に第5世代移動通信システム、通称5Gの導入は、高速大容量通信を可能にする一方で、「電磁波の影響はどうなるのだろう?」という疑問や懸念を抱く方も少なくありません。5Gの普及に伴い、環境中の電磁波(高周波電磁界)のレベルがどのように変化しているのかは、多くの人々が関心を持つ重要なテーマです。
今回ご紹介する研究は、スイスにおける5G導入期間中の高周波電磁界(RF-EMF)曝露の変化を詳細に調査したものです。この包括的な分析は、私たちが日々触れる電磁波環境の実態を明らかにし、今後の健康研究や情報提供の貴重な基盤となります。果たして5Gの導入は、私たちの周りの電磁波環境を大きく変えたのでしょうか。その答えを見ていきましょう。
📊 研究概要
この研究の主な目的は、スイスで5Gが導入される期間中に、環境中の高周波電磁界(RF-EMF)※1曝露がどのように変化したかを明らかにすることでした。5G技術は世界中で急速に展開されており、これにより人々のRF-EMF曝露が変化する可能性が指摘されています。
※1 高周波電磁界(RF-EMF):携帯電話やWi-Fiなど、無線通信に使われる電波のことです。電磁波の一種で、熱作用が主な影響として知られています。
🔬 研究方法
研究チームは、2021年7月から2024年5月にかけて、スイスの様々な場所でRF-EMFレベルを測定しました。その詳細な方法は以下の通りです。
測定場所と期間
- 屋外エリア:300箇所
- 公共スペース:244箇所(広場、公園、商業施設など)
- 公共交通機関:332回(電車やバスの乗車中)
これらの場所で、約3年間にわたりRF-EMFの測定が行われました。
測定機器と指標
測定には「ExpoM-RF4」という専門機器が使用されました。この機器は、80MHzから6GHzまでの広範囲の周波数帯における電界強度※2を測定できます。
- RMS信号(実効値)※3:平均的な電磁波の強さを示します。
- Peak信号(ピーク値)※4:瞬間的な電磁波の最大値を示します。
この2つの指標を記録することで、電磁波の定常的なレベルと、一時的な強いレベルの両方を把握しました。
※2 電界強度:電磁波の強さを示す指標の一つで、単位はV/m(ボルト毎メートル)で表されます。この数値が高いほど、電磁波が強いことを意味します。
※3 RMS信号(実効値):時間的に変動する電磁波の強さを、平均的な値として示すものです。一般的な曝露レベルの評価に用いられます。
※4 Peak信号(ピーク値):電磁波が瞬間的に最も強くなったときの値です。短時間の最大曝露を評価する際に重要となります。
比較分析
研究では、以下の3つの方法でRF-EMFレベルの変化を比較分析しました。
- ベースラインとフォローアップの比較:
2021/22年(ベースライン)と2023/24年(フォローアップ)の期間で、同じ場所、同じ時間帯(±1時間、±1週間)に測定されたRF-EMFの中央値※5を比較しました。これにより、5G導入期間中の短期的な変化を評価しました。
- 長期的な比較:
2014年、2021年、2023年に測定された49の屋外エリアのデータを比較しました。これにより、5G導入以前からの長期的なRF-EMFレベルの変化を追跡しました。
※5 中央値:データを小さい順に並べたときに真ん中にくる値です。平均値と異なり、極端に高い値や低い値の影響を受けにくいという特徴があります。
📈 主なポイント
この研究で得られた主要な結果は以下の通りです。特に、総RF-EMFレベルと、5Gに関連するTDD※6曝露レベルの変化に注目しました。
※6 TDD(時分割多重方式):5G通信で広く用いられる電波の利用方法の一つです。送信と受信を時間で区切って行うことで、効率的な通信を可能にします。この研究では、TDDのレベルが5G関連の曝露の指標とされています。
RF-EMFレベルの変化(2021/22年 vs 2023/24年)
以下の表は、各環境におけるRF-EMFの中央値(RMS信号)の変化を示しています。
| 環境 | 期間 | 総RF-EMF中央値(RMS) | 5G関連TDD中央値(RMS) | 変化の概要 |
|---|---|---|---|---|
| 屋外エリア(150箇所) | 2021/22年 | 0.16 V/m | ほぼ0 V/m | 総RF-EMFはわずかに増加。5G関連TDDは0.04 V/mまで増加。 |
| 2023/24年 | 0.17 V/m | 0.04 V/m | ||
| 公共スペース(91箇所) | 2021/22年 | 0.24 V/m | ほぼ0 V/m | 総RF-EMFはわずかに増加。5G関連TDDは0.04 V/mまで増加。 |
| 2023/24年 | 0.25 V/m | 0.04 V/m | ||
| 公共交通機関(101回) | 2021/22年 | 0.20 V/m | ほぼ0 V/m | 総RF-EMFはわずかに増加。5G関連TDDは0.04 V/mまで増加。 |
| 2023/24年 | 0.24 V/m | 0.04 V/m |
この表からわかるように、総RF-EMFの中央値(RMS信号)は、2021/22年から2023/24年の間に、すべての環境で「ほぼ一定」または「ごくわずかに増加」したに過ぎませんでした。例えば、屋外エリアでは0.16 V/mから0.17 V/mへ、公共スペースでは0.24 V/mから0.25 V/mへ、公共交通機関では0.20 V/mから0.24 V/mへと、非常に小さな変化にとどまっています。
一方で、5Gに関連するTDD曝露レベルの中央値は、この期間中にすべてのエリアで「ほぼ0 V/m」から「0.04 V/m」へと、わずかではありますが、統計的に有意な増加が観察されました。Peak信号(瞬間的な最大値)も同様の傾向を示しました。
2014年からの長期的な変化
さらに、2014年、2021年、2023年に測定された49の屋外エリアのデータを比較した結果、スイスでの5G導入後も、携帯電話通信技術全体からの環境中のRF-EMFレベルは、全体として増加していないことが示されました。
🤔 考察
この研究結果は、5Gの導入が環境中の電磁波レベルに与える影響について、非常に重要な示唆を与えています。
全体的なRF-EMFレベルは大きく変化せず
最も注目すべき点は、5Gの導入が進んだにもかかわらず、総RF-EMFレベルが大きく増加しなかったことです。これは、多くの人々が抱く「5Gで電磁波が大幅に増えるのではないか」という懸念に対して、安心材料となる情報と言えるでしょう。
なぜ総RF-EMFレベルが大きく増えなかったのでしょうか?考えられる理由としては、以下のような点が挙げられます。
- 効率的な技術の導入:5Gは、既存の4Gなどと比較して、より効率的に電波を利用する技術が導入されています。例えば、ビームフォーミング※7といった技術は、必要な方向にのみ電波を集中させることで、無駄な電波の拡散を抑えることができます。
- 既存技術との置き換え:5Gの導入は、必ずしも電波の総量を増やすだけでなく、既存の2Gや3Gといった古い技術の電波利用を減らしたり、置き換えたりする側面もあります。これにより、新しい技術が加わっても、全体の電波レベルが劇的に上昇するわけではない可能性があります。
- 規制基準の遵守:スイスを含む多くの国では、電磁波の曝露に関する厳しい規制基準が設けられています。通信事業者はこれらの基準を遵守して基地局を設置・運用しているため、基準を超えるような大幅な電磁波レベルの増加は起こりにくいと考えられます。
※7 ビームフォーミング:電波を特定の方向やユーザーに集中させて送受信する技術です。これにより、電波の効率が向上し、必要な場所に必要な強さの電波を送ることができます。
5G関連のTDD曝露は増加
一方で、5Gに関連するTDD曝露レベルがわずかに増加したことは、5G技術が実際に環境中で利用され始めていることを示しています。この増加は統計的に有意であるものの、総RF-EMFレベル全体から見れば非常に小さな割合にとどまっており、全体的な曝露レベルを大きく押し上げるものではないことが示されています。
研究の意義と価値
この研究は、5G導入期間中に同一人物によって広範なRF-EMF曝露測定が行われた、これまでにない包括的な時系列分析の一つです。これにより、測定方法の一貫性が保たれ、データの信頼性が非常に高いと言えます。この貴重なデータは、将来の疫学研究(電磁波と健康影響の関係を調べる研究)や、一般の人々への正確な情報提供において、極めて価値のある基盤となります。
今回の結果は、携帯電話データ通信量が大幅に増加しているにもかかわらず、5Gの展開が2021/22年から2023/24年の間に、携帯電話通信技術からの環境中のRF-EMF曝露を劇的に変化させていないことを示しています。これは、技術の進化が必ずしも環境負荷の増大に直結するわけではない、という良い例とも言えるでしょう。
💡 実生活アドバイス
今回の研究結果を踏まえ、私たちは日常生活で電磁波とどのように向き合えば良いのでしょうか。以下にいくつかのポイントを挙げます。
- 過度な心配は不要:今回の研究では、5G導入後も環境中の電磁波レベルが大きく増加していないことが示されました。これは、5Gの電磁波について過度に心配する必要がないことを示唆しています。
- 信頼できる情報源の確認:電磁波に関する情報は多岐にわたりますが、中には科学的根拠に基づかないものもあります。世界保健機関(WHO)や各国の公的機関、科学的な学会などが発表する、信頼性の高い情報を参照するようにしましょう。
- 基本的な予防策は引き続き有効:もし電磁波への曝露を減らしたいと考えるのであれば、携帯電話を長時間耳に当て続けるのを避ける、ハンズフリー機能を利用する、寝るときは枕元から離す、といった一般的な予防策は引き続き有効です。ただし、今回の研究結果は、これらの対策が緊急に必要となるような劇的な環境変化は起きていないことを示しています。
- 科学的根歩に基づく冷静な判断:新しい技術が導入される際には、様々な情報が飛び交います。科学的なデータに基づき、冷静に状況を判断することが大切です。
🚧 限界と課題
この研究は非常に包括的で価値のあるものですが、いくつかの限界と今後の課題も存在します。
- 測定環境の限定性:今回の測定は主に屋外エリア、公共スペース、公共交通機関で行われました。屋内環境、特に住宅内でのRF-EMFレベルの変化については、この研究ではカバーされていません。
- 特定の周波数帯:測定は80MHzから6GHzの範囲で行われました。5Gでは、より高い周波数帯であるミリ波(24GHz以上)も利用されますが、この研究の測定範囲には含まれていません。ミリ波の曝露レベルについては、別途調査が必要です。
- 健康影響の評価ではない:この研究は、RF-EMFの「曝露レベル」の変化を評価したものであり、それが直接的に「健康にどのような影響を与えるか」を評価したものではありません。電磁波の健康影響については、引き続き疫学研究や生物学的研究が必要です。
- スイスという地域性:この研究はスイスで行われたものであり、他の国や地域での5G導入が同様の結果をもたらすとは限りません。各国の規制や基地局の設置状況によって、結果は異なる可能性があります。
まとめ
スイスで行われた今回の包括的な研究により、5Gの導入期間中(2021/22年~2023/24年)においても、環境中の高周波電磁界(RF-EMF)の全体的なレベルは、大きく増加していないことが明らかになりました。5Gに関連するTDD曝露レベルはわずかに増加したものの、総RF-EMFレベルを劇的に押し上げるものではありませんでした。これは、携帯電話データ通信量が大幅に増えているにもかかわらず、5G技術が効率的に導入され、既存の電波環境を大きく変えることなく運用されていることを示唆しています。本研究は、5Gと電磁波に関する一般の懸念に対し、科学的な根拠に基づいた安心材料を提供するものであり、今後の健康研究や情報提供の貴重な基盤となるでしょう。私たちは引き続き、信頼できる情報源に基づき、冷静に電磁波環境の変化を見守っていくことが重要です。
関連リンク集
書誌情報
| DOI | 10.1038/s41370-026-00909-z |
|---|---|
| PMID | 42098444 |
| PubMed URL | https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/42098444/ |
| 発行年 | 2026 |
| 著者名 | Loizeau Nicolas, Haas Dominik, Zahner Marco, Fröhlich Jürg, Stephan Christa, Gugler Markus, Ziegler Toni, Röösli Martin |
| 著者所属 | Swiss Tropical and Public Health Institute, Allschwil, Switzerland.; Grolimund + Partner AG Environmental Engineering, Bern, Switzerland.; Fields at Work GmbH, Zurich, Switzerland.; NED-TECH AG, Wangen an der Aare, Switzerland.; Swiss Tropical and Public Health Institute, Allschwil, Switzerland. martin.roosli@swisstph.ch. |
| 雑誌名 | J Expo Sci Environ Epidemiol |