感情抑制と睡眠の質の関連性:文化的背景とパンデミックの影響
日常生活の中で、私たちはさまざまな感情を経験します。時には怒りや悲しみ、不安といった感情を、その場にそぐわないと感じて表に出さないようにすることがあります。このような「感情を抑える」行動は、多くの人が無意識のうちに行っている感情調整の方法の一つです。
しかし、この感情抑制が私たちの睡眠の質にどのような影響を与えるのかについては、これまで研究によって見解が分かれていました。感情を抑え続けることが心身に負担をかけることは想像に難くありませんが、具体的に睡眠とどう関連するのか、また、文化的な背景や、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)パンデミックのような社会全体を覆う大きなストレス状況下ではどうなるのか、その全貌は明らかではありませんでした。
今回ご紹介する研究は、世界中の複数の研究結果を統合して分析する「メタアナリシス」という手法を用いて、健康な成人における感情抑制と睡眠の質の関連性を包括的に検証しました。この大規模な分析によって、感情抑制が睡眠に与える影響の新たな側面が明らかになりました。
🧐 感情抑制とは?なぜ睡眠と関係があるの?
「感情抑制(Expressive suppression)」とは、感情が湧き上がってきたときに、その感情を表情や言葉、行動として表に出さないようにする感情調整の戦略です。例えば、職場で不満があっても笑顔で対応したり、悲しいことがあっても人前では涙を見せないようにしたりする行動がこれにあたります。
感情抑制は、一時的に社会的な調和を保ったり、特定の状況で感情的な反応を避けるためには有効な戦略となることがあります。しかし、感情を抑え込むことには、心身にさまざまな負担がかかる可能性が指摘されています。感情を抑えようとすると、心理的な努力が必要となり、これがストレス反応を引き起こすことがあります。具体的には、心拍数の上昇、血圧の上昇、筋肉の緊張といった生理的な覚醒状態が続くことが知られています。
このような生理的な覚醒状態は、睡眠にとって非常に有害です。寝る前に心が落ち着かず、体が緊張している状態では、なかなか寝付けなかったり、眠りが浅くなったりすることがあります。また、感情を抑え込んだ結果、その感情が心の中で反芻(はんすう)され、不安や心配事が頭から離れなくなることも、睡眠の質を低下させる要因となります。
このため、習慣的な感情抑制は、長期的に見ると睡眠の質の低下につながるのではないかと考えられてきました。今回のメタアナリシスは、この仮説を大規模なデータで検証しようとしたものです。
📚 研究の目的と方法
研究の目的
このメタアナリシスは、主に以下の2つの目的を持って実施されました。
- 健康な成人における感情抑制と睡眠の質の関連性を、複数の研究結果を統合して評価すること。
- この関連性が、文化的背景や、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)パンデミックのような大きな心理社会的ストレス状況によってどのように変化するかを検証すること。
研究の方法
研究者たちは、信頼性の高い電子データベース(PubMed、EBSCO、Web of Scienceなど)を用いて、感情調整と睡眠の質に関連する先行研究を網羅的に検索しました。検索期間はデータベースの開始時点から2025年5月までと設定されています。
論文の選定にあたっては、以下の厳格な基準が設けられました。
- 対象者: 精神疾患などの診断を受けていない「非臨床成人サンプル」(健康な成人集団)であること。
- 感情抑制の評価: 感情調整戦略を測定するための標準的な自己報告式質問票である「Emotion Regulation Questionnaire (ERQ)」を用いて感情抑制が評価されていること。
- 睡眠の質の評価: 「PSQI(ピッツバーグ睡眠質問票)」や「ISI(不眠症重症度指数)」など、標準化された自己報告式の睡眠測定尺度を用いて睡眠の質が評価されていること。
- 統計データの報告: 感情抑制と睡眠の質の関連性を示す「ゼロ次ピアソン相関係数」(2つの変数の間に直線的な関係があるか、その強さと方向を示す統計指標)が報告されていること。
これらの基準を満たした結果、合計23の独立した研究(総参加者数13,636人)が分析対象として選ばれました。これらの研究データを統合するために、「ランダム効果モデル」(各研究の真の効果が異なるという仮定のもとで、統合された効果量を推定する統計モデル)という統計手法が用いられ、感情抑制と睡眠の質の全体的な関連性を示す「統合効果量」(統計的な差や関連性の大きさを示す指標)が算出されました。さらに、文化的背景やパンデミック状況といった要因が、この関連性にどのような「調整効果」(ある変数が、他の2つの変数間の関係の強さや方向を変える効果)を与えるかを検証するためのサブグループ分析や調整因子分析も実施されました。
💡 研究の主な結果
このメタアナリシスによって、感情抑制と睡眠の質の関連性について、以下のような重要な知見が得られました。
感情抑制と睡眠の質の全体的な関連性
分析の結果、感情抑制は睡眠の質の低下と、小さくはあるものの統計的に有意な関連性があることが示されました。具体的には、相関係数(r)は0.14であり、95%信頼区間は0.12から0.16でした。これは、感情を抑制する傾向が強い人ほど、睡眠の質が低い傾向にあることを示唆しています。
研究間の異質性(I²:統合される個々の研究の結果がどの程度ばらついているかを示す指標)は28.21%と低く、これは個々の研究結果のばらつきが小さく、統合された結果が比較的安定していることを意味します。
パンデミックの影響
特に注目すべきは、研究が実施された状況による関連性の違いです。COVID-19パンデミックに関連するストレスに焦点を当てた研究では、感情抑制と睡眠の質の低下の関連性が、一般的な状況下で実施された研究よりもより強く見られました。これは、社会全体が大きな心理社会的ストレスに直面している状況では、感情抑制が睡眠に与える悪影響が増幅される可能性を示唆しています。
文化的背景やその他の要因の影響
一方で、文化的背景(例えば、東洋文化圏と西洋文化圏)、睡眠測定方法の種類(PSQIかISIかなど)、研究デザイン(横断研究か縦断研究か)、論文の発表時期といった要因は、感情抑制と睡眠の質の関連性を有意に調整する効果は示しませんでした。つまり、これらの要因によって、感情抑制が睡眠に与える影響の強さが大きく変わることはなかったということです。
主要結果のまとめ
以下に、主要な結果を分かりやすく表にまとめました。
| 項目 | 結果 | 意味するところ |
|---|
| DOI | 10.1186/s40359-026-04527-0 |
|---|---|
| PMID | 42098872 |
| PubMed URL | https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/42098872/ |
| 発行年 | 2026 |
| 著者名 | Donglin Wang, Xuewei Wang, Syed Jaapar Sharifah Zubaidiah, Ab Razak Asrenee |
| 著者所属 | Department of Psychiatry, School of Medical Sciences, Universiti Sains Malaysia Health Campus, Kota Bharu, 16150, Malaysia.; Guangzhou City Construction College, Guangzhou, China.; Department of Psychiatry, School of Medical Sciences, Universiti Sains Malaysia Health Campus, Kota Bharu, 16150, Malaysia. asrenee@usm.my. |
| 雑誌名 | BMC Psychol |