スウェーデンの老人ホームの高齢者で認知症に伴う行動や心の症状への薬の使用の研究
認知症は、高齢化が進む現代社会において、多くの人々が直面する重要な健康課題の一つです。特に、認知症に伴って現れる行動や心の症状(BPSD: Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia)は、ご本人だけでなく、ご家族や介護者にとっても大きな負担となることがあります。これらの症状に対して、どのような薬が、どの程度使用されているのか、そしてそれがどのような症状と関連しているのかを知ることは、より良いケアを考える上で非常に重要です。
今回ご紹介する研究は、スウェーデンの老人ホームに入居している認知機能障害のある高齢者を対象に、BPSDと精神作用薬(向精神薬)の使用状況、およびその関連性を大規模に調査したものです。この研究から見えてくる実態と、それが私たちの認知症ケアにどのような示唆を与えるのかを、詳しく見ていきましょう。
💡認知症高齢者の行動・心理症状(BPSD)と薬物療法の実態
認知症の症状は、記憶障害や判断力の低下といった「中核症状」だけでなく、幻覚、妄想、興奮、攻撃性、抑うつ、不安、徘徊、睡眠障害など、多岐にわたる行動や心の症状を伴うことがあります。これらを総称して「認知症に伴う行動・心理症状(BPSD)」と呼びます。BPSDは、認知症の進行とともに現れることが多く、患者さんの生活の質を著しく低下させ、介護負担を増大させる主要な要因となります。
これらの症状の緩和のために、精神作用薬(向精神薬)が処方されることがありますが、その使用には効果と副作用の両面から慎重な検討が必要です。本研究は、スウェーデンの老人ホームにおける精神作用薬の使用実態と、それがどのようなBPSDと関連しているのかを明らかにすることを目的としています。
研究の背景と目的
世界的に、認知症高齢者における精神作用薬の不適切な使用や過剰処方が問題視されています。特に、抗精神病薬は、興奮や攻撃性を抑えるために使われることがありますが、副作用として脳卒中のリスク増加や死亡率の上昇が指摘されており、その使用は最小限に抑えるべきだとされています。しかし、介護現場ではBPSDへの対応が非常に困難であるため、薬物療法に頼らざるを得ない状況も少なくありません。
この研究は、スウェーデンという特定の国の老人ホームにおいて、認知機能障害を持つ高齢者のBPSDと精神作用薬の使用状況を詳細に把握し、両者の関連性を明らかにすることで、より適切で安全な薬物療法のあり方を検討するための基礎データを提供しようとしました。
調査方法
この研究では、スウェーデン全国の老人ホームを対象とした大規模な調査「SWENIS II(Swedish National Inventory of Care and Health in Residential Aged Care II)」のデータが活用されました。
【調査概要】
- 調査期間: 2019年2月4日~2月12日
- 対象地域: スウェーデン国内の60の自治体から無作為に選定し、うち49自治体が参加を承諾(最終的に43自治体が参加)
- 参加施設: 187の老人ホーム
- 最終的な研究対象者: 1,541人(65歳以上で認知機能障害のある入居者)
研究対象者の認知機能障害の程度は、軽度、中等度、重度に分類されました。精神作用薬の使用状況は、スウェーデン処方薬登録(Swedish Prescribed drug register)という国のデータベースを用いて特定されました。これにより、実際に処方され、使用されている薬の種類と量が正確に把握されています。
データ分析には、二項ロジスティック回帰分析という統計手法が用いられました。これは、複数の要因が、ある事象(この場合は特定の薬の使用)が起こるか起こらないかという二者択一の結果にどう影響するかを統計的に分析する手法です。これにより、特定のBPSDと特定の精神作用薬の使用との間に統計的に意味のある関連性があるかどうかを調べました。
主な研究結果
この研究で明らかになった主な結果は以下の通りです。
精神作用薬の使用状況
スウェーデンの老人ホーム入居者のうち、実に80.8%が少なくとも1種類の精神作用薬を使用しており、その使用率は非常に高いことが示されました。各薬剤の使用率は以下の通りです。
| 精神作用薬の種類 | 使用率 | 簡易注釈 |
|---|---|---|
| 少なくとも1種類の精神作用薬 | 80.8% | 脳の神経系に作用し、精神症状を改善する薬の総称 |
| 抗精神病薬 | 20.5% | 幻覚、妄想、興奮などを抑える薬 |
| 抗不安薬 | 32.0% | 不安や緊張を和らげる薬 |
| 睡眠薬・鎮静薬 | 21.3% | 睡眠を促したり、精神を落ち着かせたりする薬 |
| 抗うつ薬 | 58.4% | 抑うつ気分を改善する薬 |
| 抗認知症薬 | 32.1% | 認知機能の低下を緩やかにする薬 |
特に抗うつ薬の使用率が58.4%と非常に高いことが注目されます。一方で、認知症の進行を遅らせる効果が期待される抗認知症薬の使用率は32.1%と、他の精神作用薬に比べて低い傾向が見られました。
認知機能障害の程度別に見られたBPSDと薬剤の関連性
研究では、認知機能障害の程度(軽度、中等度、重度)によって、BPSDと精神作用薬の関連性が異なることが示されました。
| 認知機能障害の程度 | BPSD | 関連が認められた精神作用薬 | 簡易注釈 |
|---|---|---|---|
| 軽度 | 不安 | 抗不安薬 | 漠然とした心配や恐怖を感じる状態 |
| 睡眠・夜間行動障害 | 抗不安薬、睡眠薬・鎮静薬 | 不眠、夜間の徘徊や興奮など | |
| 抑うつ・不快気分 | 抗うつ薬 | 気分が落ち込む、悲しい、意欲がないなどの状態 | |
| 中等度 | 不安 | 抗不安薬、睡眠薬・鎮静薬、抗精神病薬 | |
| 睡眠・夜間行動障害 | 抗不安薬、睡眠薬・鎮静薬 | ||
| 抑うつ・不快気分 | 抗うつ薬、抗不安薬 | ||
| 幻覚 | 睡眠薬・鎮静薬 | 実際にはないものが見えたり聞こえたりする | |
| 興奮・攻撃性 | 抗精神病薬 | 感情が高ぶり、大声を出したり暴力的になったりする | |
| 重度 | 異常運動行動 | 抗精神病薬、抗不安薬、睡眠薬・鎮静薬 | 目的のない繰り返し動作、落ち着きがないなど |
| 不安 | 抗不安薬 | ||
| 無気力・無関心 | 抗不安薬 | 意欲がなく、周囲に興味を示さない状態 | |
| 興奮・攻撃性 | 睡眠薬・鎮静薬 |
この表から、いくつかの重要な点が読み取れます。
抗不安薬、睡眠薬・鎮静薬の幅広い関連性: これらは不安や睡眠障害だけでなく、認知機能障害の程度によっては抑うつ、幻覚、異常運動行動、無気力といった多様なBPSDとも関連していました。
抗精神病薬の関連性: 中等度認知機能障害者では興奮・攻撃性や不安と、重度認知機能障害者では異常運動行動と関連していました。
認知機能障害の進行とBPSDの変化: 軽度では比較的特定の症状と薬の関連が見られましたが、中等度や重度になるにつれて、より多様なBPSDと複数の種類の精神作用薬が関連する傾向が見られました。特に重度では、異常運動行動に対して複数の精神作用薬が関連している点が注目されます。
研究結果から見えてくること(考察)
この研究結果は、スウェーデンの老人ホームにおける認知症高齢者のBPSDに対する薬物療法の現状を浮き彫りにしています。
まず、精神作用薬の使用率が80.8%と非常に高いことは、認知症高齢者のBPSDが介護現場でいかに大きな課題となっているかを示唆しています。BPSDは、ご本人にとって苦痛であるだけでなく、介護者の負担を増大させ、施設の運営にも影響を与えるため、その症状緩和が強く求められている現実があります。
抗うつ薬の使用率が58.4%と最も高かったことは、認知症高齢者の間で抑うつ症状が非常に一般的であることを示しています。認知症の初期段階では、自身の変化に対する不安や喪失感から抑うつ状態に陥りやすいことが知られています。
一方で、抗認知症薬の使用率が32.1%と比較的低かった点は注目に値します。抗認知症薬はBPSDそのものを直接的に治療するものではありませんが、認知機能の維持を通じてBPSDの出現を遅らせたり、症状を軽減したりする可能性も指摘されています。この使用率の低さが、BPSDに対する精神作用薬の高い使用率の一因となっている可能性も考えられます。
また、認知機能障害の程度によってBPSDと薬剤の関連性が異なるという発見は重要です。これは、認知症の進行段階に応じて、現れるBPSDの種類やその背景が変化し、それに対応する薬物療法も慎重に検討する必要があることを示唆しています。例えば、重度の認知機能障害では、言葉で自分の苦痛を表現することが難しくなるため、興奮や異常運動行動といった身体的な表現が増える傾向があります。これに対し、抗精神病薬だけでなく、抗不安薬や睡眠薬・鎮静薬も使用されている実態が明らかになりました。
特に、抗不安薬や睡眠薬・鎮静薬が、不安や睡眠障害だけでなく、抑うつ、幻覚、異常運動行動、無気力といった多様なBPSDと関連していたことは、これらの薬が広範な症状に対して使用されている現状を示しています。しかし、これらの薬には鎮静作用やふらつき、転倒のリスクなどの副作用もあり、その使用は慎重に行われるべきです。
この研究は、BPSDに対する薬物療法が、個々の症状や認知機能の程度に合わせて、よりきめ細かく、かつ慎重に検討されるべきであることを強く示唆しています。
私たちの実生活に役立つアドバイス
この研究結果は、認知症の高齢者とそのご家族、そして介護に携わるすべての人々にとって、重要な示唆を与えてくれます。
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BPSDへの理解を深める:
- 認知症に伴う行動や心の症状は、ご本人の「困りごと」の表現であることが多いです。症状の背景にある原因(身体的な不調、環境の変化、過去の記憶など)を理解しようと努めることが大切です。
- 症状を「問題行動」と捉えるのではなく、ご本人のメッセージとして受け止める視点を持つことが、適切な対応につながります。
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非薬物療法の重要性:
- 薬物療法は最後の手段と考えるべきです。まずは、環境調整(静かで安心できる空間作り)、コミュニケーションの工夫、レクリエーション活動(音楽療法、アロマセラピー、回想法など)、適度な運動など、薬を使わない「非薬物療法」を積極的に試みましょう。
- ご本人の好きなこと、得意なことを見つけて、その活動を促すことで、BPSDが軽減されることがあります。
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医療従事者との連携:
- BPSDが現れたら、まずはかかりつけ医や認知症専門医に相談しましょう。症状の種類、現れる時間帯、頻度、きっかけなどを具体的に伝えることが重要です。
- 薬物療法を検討する際には、その必要性、期待される効果、そして起こりうる副作用について、医師や薬剤師から十分な説明を受け、納得した上で治療を選択しましょう。
- 薬を使い始めたら、その効果だけでなく、副作用が出ていないか、症状が悪化していないかなどを注意深く観察し、定期的に医師に報告することが大切です。
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多職種連携の推進:
- 医師、看護師、薬剤師、介護士、理学療法士、作業療法士、ケアマネージャーなど、様々な専門職が連携し、それぞれの視点からBPSDの原因を探り、最適なケアプランを立てることが重要です。
- 特に、薬物療法を開始する際には、多職種で情報共有し、薬の選択や量、効果、副作用について慎重に検討する「薬剤見直し(ポリファーマシー対策)」の視点も不可欠です。
研究の限界と今後の課題
この研究は大規模なデータに基づいた貴重な知見を提供しましたが、いくつかの限界も存在します。
横断研究であること: この研究は、ある一時点でのBPSDと薬物使用の関連性を調べた「横断研究」です。そのため、「この薬を使ったからこの症状が出た」といった直接的な因果関係を特定することはできません。例えば、重度のBPSDがあるから薬が使われているのか、あるいは薬の副作用で新たな症状が出ているのか、といった点は、この研究だけでは判断できません。
BPSDの評価方法: BPSDの評価はアンケート調査に基づいており、介護者の主観的な判断が含まれる可能性があります。より客観的な評価方法や、詳細な行動観察データがあれば、さらに精度の高い分析が可能になるでしょう。
薬物療法の効果や副作用に関する詳細なデータ: この研究では、薬が実際にBPSDをどの程度改善したのか、あるいはどのような副作用を引き起こしたのかといった、薬物療法の効果や安全性に関する詳細なデータは含まれていません。
これらの限界を踏まえ、今後の研究では、薬物療法の効果と副作用を長期的に追跡する縦断研究や、特定のBPSDに対する非薬物療法の有効性を検証する介入研究などが求められます。また、個々の患者さんの状態に合わせた「個別化されたケア」の確立に向けて、さらなる研究と実践の積み重ねが必要です。
🌟まとめ
スウェーデンの老人ホームにおける認知症高齢者の行動・心理症状(BPSD)と精神作用薬の使用に関するこの大規模な研究は、その実態と課題を明確に示しました。老人ホーム入居者の8割以上が精神作用薬を使用しており、特に抗うつ薬の使用率が高い一方で、抗認知症薬の使用率は比較的低いことが明らかになりました。また、認知機能障害の程度によって、BPSDと精神作用薬の関連性が異なることも示され、個々の症状や進行段階に応じた慎重な薬物選択の重要性が浮き彫りになりました。
この研究結果は、BPSDに対する薬物療法が、単に症状を抑えるだけでなく、その背景にある原因を深く理解し、非薬物療法を優先的に検討した上で、必要最小限の薬を、適切な種類と量で、慎重に使用することの重要性を私たちに教えてくれます。認知症高齢者の尊厳を守り、生活の質を向上させるためには、医療従事者、介護者、ご家族が連携し、多角的な視点から最適なケアを追求していくことが不可欠です。
🔗関連情報リンク集
書誌情報
| DOI | pii: 971. doi: 10.1186/s12877-026-08014-4 |
|---|---|
| PMID | 42487112 |
| PubMed URL | https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/42487112/ |
| 発行年 | 2026 |
| 著者名 | Sönnerstam Eva, Andersson Tomas, Backman Annica, Sköldunger Anders, Edvardsson David, Gustafsson Maria, Lövheim Hugo |
| 著者所属 | Department of Medical and Translational Biology, Umeå University, 901 87 Umeå, Sweden. eva.sonnerstam@umu.se.; Department of Community Medicine and Rehabilitation, Umeå University, 901 87 Umeå, Sweden.; Department of Nursing, Umeå University, 901 87 Umeå, Sweden.; Department of Nursing, Swinburne University of Technology, Melbourne, Australia.; Department of Medical and Translational Biology, Umeå University, 901 87 Umeå, Sweden. |
| 雑誌名 | BMC Geriatr |