フィットネスクラスで流れる音楽は、運動のモチベーションを高め、パフォーマンス向上に寄与すると考えられ、多くの参加者にとって欠かせない要素です。しかし、その一方で、大音量の音楽は聴覚へのリスク、特に騒音性難聴を引き起こす可能性も指摘されています。運動中の高揚感と聴覚の健康、この二つのバランスをどのように取るべきか、多くの人が疑問に感じているのではないでしょうか。今回ご紹介する研究は、フィットネスクラスにおける音楽の音量が、参加者が感じる運動のきつさにどのような影響を与えるのか、そして聴覚保護行動の実態について調査したものです。
💡研究の背景と目的
フィットネスクラスでは、しばしば大音量の音楽が流され、それが参加者のやる気を引き出し、運動効果を高めると信じられています。しかし、この大音量が、長期的に見ると「騒音性難聴」という聴覚障害のリスクを高めることが懸念されています。騒音性難聴は、大きな音に繰り返しさらされることで、耳の奥にある有毛細胞が損傷し、聴力が徐々に低下する病気です。一度損傷した有毛細胞は再生しないため、予防が非常に重要となります。
この研究の目的は、フィットネスクラスの音楽の音量を下げた場合でも、参加者が感じる運動のきつさ(自覚的運動強度)が、通常の(より大きい)音量の場合と比べて遜色ないか、つまり「非劣性」であることを評価することでした。さらに、参加者がどの程度聴覚保護行動をとっているかについても調査し、フィットネス環境における聴覚保護の重要性を明らかにしようとしました。
🔬研究のデザインと方法
研究デザインと参加者
この研究は、「比較効果研究」という手法を用いて行われました。これは、異なる介入(ここでは音楽の音量)の効果を比較し、どちらがより優れているか、あるいは同等であるかを評価する研究です。具体的には、一部の参加者が異なる音量条件のクラスに複数回参加する「部分的繰り返し測定デザイン」が採用されました。
調査は、2025年2月1日から28日の期間に、アメリカ・ロサンゼルスにあるフィットネススタジオで実施されました。対象となったのは、グループフィットネスクラスに参加する人々です。合計189名の参加者が239件のアンケートに回答し、そのうち21名が通常の音量と低減された音量の両方のクラスでアンケートに回答しました。参加者の年齢の中央値は28歳(範囲は17~59歳)で、87.3%が女性でした。
暴露(介入)と評価項目
参加者は、以下の2つの異なる音楽音量条件のいずれかで、1時間のグループフィットネスクラスに参加しました。
- 通常の(より大きい)音楽音量条件: 一般的にフィットネスクラスで流される音量です。
- 低減された音楽音量条件: 通常の音量から3dBA(デシベルA)以上音量を下げた条件です。※dBAとは、人間の耳に聞こえる音の大きさを表す単位で、A特性補正というフィルターを通して測定されます。
主な評価項目は、参加者が感じる「自覚的運動強度」でした。これは、運動中にどれくらいきついと感じるかを数値で評価するもので、この研究では「Borg CR-10スケール」という指標が用いられました。※Borg CR-10スケールは、0(全くきつくない)から10(最大にきつい)までの数値で運動のきつさを評価する主観的な尺度です。また、音楽の音量(dBA)と、参加者の聴覚保護行動(耳栓の使用など)についても調査されました。
統計解析
自覚的運動強度の比較には、参加者からの繰り返し測定を考慮した「多変量混合効果線形回帰」という統計手法が用いられました。そして、低減された音量条件が通常の音量条件と比べて「非劣性」であるかどうかが評価されました。※非劣性とは、新しい治療法や介入が、既存のものと比べて効果が劣っていないことを示す統計学的な概念です。非劣性は、自覚的運動強度の差の下限値が、事前に設定された非劣性閾値(-1.5)を超えない場合に認められるとされました。
📊主なポイント(研究結果)
この研究で得られた主要な結果は以下の通りです。
| 項目 | 通常の(より大きい)音量クラス | 低減された音量クラス | 備考 |
|---|---|---|---|
| クラス数 | 122クラス | 117クラス | 合計239クラス |
| 平均音量 | 91.4 dBA (95%信頼区間: 91.1-91.9 dBA) |
88.5 dBA (95%信頼区間: 88.0-88.9 dBA) |
約3dBAの音量差 |
| 自覚的運動強度 (Borg CR-10スケール) |
差のβ値: -0.66 (97.5%信頼区間の下限: -1.09) |
非劣性閾値 -1.5 を超えず、 低減された音量クラスの非劣性が確認された。 |
|
| 耳鳴りの経験 | 28名(14.8%)がクラス後に耳鳴りを経験 | ||
| 聴覚保護具の使用 | 4名(2.1%)が常に使用 | ||
最も重要な発見は、音楽の音量を約3dBA下げたクラスでも、参加者が感じる運動のきつさ(自覚的運動強度)は、通常の音量のクラスと比べて劣らないという結果でした。これは、統計的に「非劣性」が確認されたことを意味します。さらに、音量を最大4dBAまで下げても、同様に非劣性が維持されることが示されました。
また、参加者の約15%がフィットネスクラス後に耳鳴りを経験したことがあると報告しており、これは大音量による聴覚への影響を示唆しています。しかし、聴覚保護具(耳栓など)を常に使用している参加者はわずか2.1%にとどまっており、聴覚保護への意識が低い現状が浮き彫りになりました。
🤔考察:この研究結果が意味すること
この研究結果は、フィットネス業界と私たち個人の健康にとって非常に重要な示唆を与えています。
まず、「大音量の音楽がなければ運動効果が下がる」という一般的な認識が、必ずしも正しくない可能性を示しました。音楽の音量を少し下げても、参加者はこれまでと同じように運動がきついと感じ、モチベーションを維持できることが明らかになったのです。これは、フィットネススタジオが聴覚保護を考慮した音量設定を導入する上で、大きな後押しとなるでしょう。
次に、音量を下げることで、騒音性難聴のリスクを低減できる可能性が示されました。フィットネスクラスの平均音量91.4dBAは、長時間曝露されると聴覚に悪影響を及ぼす可能性があるレベルです。例えば、日本の労働安全衛生法では、85dB以上の騒音に1日8時間さらされる作業場では、耳栓などの保護具の使用が義務付けられています。フィットネスクラスは通常1時間程度ですが、週に何回も参加したり、長期間にわたって参加したりすれば、累積的な影響は無視できません。音量を数dBA下げるだけでも、聴覚への負担は大きく軽減されます。
しかし、この研究は同時に、聴覚保護に関する意識の低さという課題も浮き彫りにしました。クラス後に耳鳴りを経験する人が少なくないにもかかわらず、耳栓などの保護具を日常的に使用している人が極めて少ない現状は、聴覚の健康に対する認識を向上させる必要性を示しています。耳鳴りは、聴覚細胞がダメージを受けているサインである可能性があり、放置すると難聴につながる恐れがあります。
これらの結果から、フィットネススタジオは、参加者の運動体験を損なうことなく、より安全な音量設定を導入できることが示唆されます。また、参加者自身も、自身の聴覚を守るために、積極的に聴覚保護について学び、実践していくことが求められます。
🏃♀️実生活へのアドバイス
この研究結果を踏まえ、フィットネスクラスをより安全に、そして効果的に楽しむための具体的なアドバイスをいくつかご紹介します。
フィットネスクラス参加者の方へ
- 耳栓の活用を検討しましょう: 音楽の音量が大きいと感じる場合は、耳栓の使用を強くお勧めします。最近では、音楽の質を損なわずに音量だけを効果的に下げる、フィットネス用の耳栓も市販されています。
- インストラクターに相談してみましょう: クラスの音量が大きすぎると感じる場合は、インストラクターやスタジオのスタッフに、音量を少し下げられないか相談してみましょう。この研究結果は、音量を下げても運動効果は変わらないことを示しています。
- 休憩を挟みましょう: 長時間大音量にさらされることを避けるため、クラスの合間や休憩中に、少し静かな場所で耳を休ませる時間を取りましょう。
- 耳鳴りや聴覚の変化に注意しましょう: クラス後に耳鳴りがする、音が聞こえにくいと感じるなどの症状がある場合は、放置せずに耳鼻咽喉科を受診しましょう。早期発見・早期治療が重要です。
フィットネススタジオ・インストラクターの方へ
- 適切な音量設定を検討しましょう: この研究は、音量を少し下げても参加者の自覚的運動強度は変わらないことを示しています。参加者の聴覚保護のためにも、クラスの音量設定を見直すことを検討してください。
- 聴覚保護に関する情報提供を: 参加者に対して、大音量による聴覚リスクや耳栓の使用方法など、聴覚保護に関する情報を提供しましょう。スタジオ内にポスターを掲示したり、クラス開始時にアナウンスしたりするのも良いでしょう。
- 定期的な音量測定を: クラスの音量が常に適切なレベルに保たれているか、定期的に測定し、管理することが重要です。
🚧研究の限界と今後の課題
この研究は重要な知見をもたらしましたが、いくつかの限界も存在します。
- 特定の地域・スタジオでの実施: ロサンゼルスの単一のフィットネススタジオで行われた研究であるため、結果が他の地域や多様なフィットネス環境にもそのまま当てはまるかは、さらなる検証が必要です。
- 参加者の偏り: 参加者の約87%が女性であり、年齢層も比較的若い傾向がありました。より幅広い年齢層や性別の参加者での検証が望まれます。
- 短期間の研究: 1ヶ月という比較的短期間の調査であり、長期的な影響や、音量変化に対する参加者の適応については、さらなる研究が必要です。
- 主観的な評価項目: 自覚的運動強度は参加者の主観に基づく評価であり、客観的な生理学的指標(心拍数など)と組み合わせて評価することで、より包括的な知見が得られる可能性があります。
これらの限界を踏まえ、今後はより大規模で多様な参加者を対象とした研究や、長期的な影響を評価する研究が求められます。また、聴覚保護に関する意識向上と教育プログラムの効果検証も重要な課題となるでしょう。
まとめ
今回の研究は、フィットネスクラスにおいて、音楽の音量を少し下げても、参加者が感じる運動のきつさには影響がないことを明らかにしました。これは、大音量の音楽が必ずしも運動効果に不可欠ではないことを示唆しており、同時に騒音性難聴のリスクを低減する可能性を秘めています。しかし、多くの参加者が耳鳴りを経験しているにもかかわらず、聴覚保護具の使用が少ないという現状も浮き彫りになりました。この研究結果は、フィットネススタジオがより安全な音量管理を導入し、参加者一人ひとりが自身の聴覚の健康を守るための意識を高めることの重要性を強く訴えかけています。運動を楽しみながら、大切な耳も守るために、今日からできることを始めてみませんか。
🔗関連リンク集
- 厚生労働省
日本の労働衛生基準や健康情報を提供しています。 - 国立研究開発法人 医薬基盤・健康・栄養研究所
健康・栄養に関する科学的根拠に基づいた情報を提供しています。 - 日本耳鼻咽喉科学会
耳鼻咽喉科領域の疾患に関する専門情報やガイドラインを提供しています。 - 世界保健機関(WHO) – 難聴
世界の難聴に関する統計、予防、ケアに関する情報を提供しています。(英語サイト) - 米国疾病対策センター(CDC) – 騒音と聴覚保護
騒音性難聴の予防に関する情報やリソースを提供しています。(英語サイト)
書誌情報
| DOI | 10.1001/jamaoto.2026.0028 |
|---|---|
| PMID | 41784979 |
| PubMed URL | https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/41784979/ |
| 発行年 | 2026 |
| 著者名 | Hori Kaitlin, Wee Choo Phei, Liu Nicholas, Parsons John, Choi Janet S |
| 著者所属 | Keck School of Medicine, University of Southern California, Los Angeles.; Southern California Clinical and Translational Science Institute, University of Southern California, Los Angeles.; Caruso Department of Otolaryngology-Head and Neck Surgery, University of Southern California, Los Angeles. |
| 雑誌名 | JAMA Otolaryngol Head Neck Surg |